オランダ 歴史

東インド会社で栄えたホールンは見どころがたくさん!【ホールン街歩きレポ②】

2018年6月22日

( ゜▽゜)/こんにちは!マリ姐です。

書きたいことはたくさんあるのに、時間が足りない!通勤時間をうまく使えないか考え中ですよ。さて、ホールン街歩きの続きです!

ホールンをおすすめする理由

私が熱烈にホールンを推すのは、アムステルダムからのアクセスの良さ大航海時代の街としての風景が残っている点博物館の展示品が多く、興味深い点からです。東インド会社の支社のあった街は6つあり、マリ姐は全部に訪れて全部に感動してるので、正直全部行ってほしいのが本音です。今度その他の街についても熱く語るとは思うんですが、じゃあ敢えてそのうちどこをオススメするか?と聞かれたらアムステルダムに次いでホールンと答えます。

団体客が少なく、落ち着いて観光できるのもポイントが高いです。今回は季節がよかったので、運河を船で観光する人達は見かけましたが、それも多くはないです(バカンスのシーズンはもっと増えるとは思います)。東洋人はほぼいません。

毎回地元の人にジロジロ見られている感じはするわね。
中の人は現地では何歳に見られてるのかニャ

 

ホールンの街を歩こう!②

今回のルートマップ

青い数字が今回のスポット。水色の○印は、大航海時代の年代表記や特徴的なレリーフのある家です(覚えている限りなので参考程度に)。

 

前回の倉庫の前の橋を渡ると、帆船のレリーフのついた家があります。その家を左にして通りを歩いていくと、重要な建築があります。

 

kammer VOC(Het Oostindisch Huis)

1682年に建てられた東インド会社ホールン支社の建物です。現在は住宅兼ホールとして利用されています。だからなんで入れな(以下、略)地味な通りにあるので、初めて行ったときは見逃したんですよねー。この日もこの通りはほとんど人が歩いていない。

 

 

しっかりVOCホールンのマークがありました。このマークを見るとテンションあがります!私にとって隠れ○ッキー的存在のマークです(隠れてないけど)。

 

中の人はVOCグッズ集めてるもんね。
お気に入りは手鏡なのニャ

 

②statenlogemet

1613年に建てられた建物で、北オランダ、西フリースランドの会議参加者の為のゲストハウス、市役所とその用途は変わっていった模様。

 

 

Alkmaar、Medemblik、Enkhuizen、Hoorn、Monnickendam、Edam、Purmerendの7つの都市のレリーフが飾られています。

黒い牛はエダムね。
魚3本はエンクハイゼンだニャ

 

③Mariakapel


・・・なぜあんなところに人が?

めちゃくちゃ違和感あるニャ

元は15世紀に建てられた修道院で、現在は1508年の礼拝堂のみ残っていますが、現在は教会としての機能はないです。1990年にどういうわけか、ポリエステル製の人間像をのせたそうです。地味な通りにこんなものがあるので、ちょっと笑いました。

また、Berndnaut Smildeというフローニンゲン出身の現代アーティストがここで人工的に雲を発生させるパフォーマンスを行ったようです。

どんなパフォーマンスなの?
気になったんで調べたニャ

画像ありました。➡Nimbus(Mariacapelでのパフォーマンスは左の列、上から7番目)

なかなかシュールですが・・・あるはずのないところに雲を発生させるという発想は面白いですね。

 

④Burgerweeshuis

Mariacapelの隣にあるのは、修道院の後、1531年に孤児院として使われるようになった建物。'Twees huysは孤児院の意味。

1573年のゾイデル海の海戦において敗北したスペイン軍ブッス伯マキシミリアン・ド・エナン=リエタールが一時期捕らえられていた場所でもあります。

ゾイデル海の海戦とは

ネーデルラントの北部7州がスペインの支配に抵抗し、ネーデルラント連邦共和国として国際承認されるまでの八十年間に起こった戦争(八十年戦争)のうちの1つ。

その後、ブッス伯は解放されたのに帰国せず、オランダ陸軍として戦ったそうよ。
オランダにいる間に心境の変化があったのかニャ?

大航海時代のオランダを語るのに八十年戦争は欠かせないんですが、あまりにも戦争と船と登場人物の数が多すぎて、毎回混乱します(;^ω^)

 

この入口だけ残して改修され、1977年までは市庁舎として利用された時期も。現在は復元された状態で、オフィスビルとして利用されています。

 

⑤KloosterpoortとOude Vrouwenpoort

1603年に建てられたKloosterpoort。ここを通り、おもちゃ屋を通り過ぎたところにOude Vrouwenpoortがあります。

元は修道院の入口として作られたゲートで、1606-1607年に作られた最古の部分だそうです。もともと2人の女性が椅子に座っているレリーフがあったのですが、風化してしまった為、後に現代アーティストによって置き換えられてます。修道院の後は銀行になったようです。

 

 

通り抜けしていいものかわからなくて、向こう側にいかなかったんですけど、向こう側にもレリーフのついたゲートがあります(Googleのストリートビューで気づく。。)。ぐるっと回れば見れたのに( ノД`)シクシク…開けっ放しだし、通り抜けてよかったかもしれない。

 

Grote Kerk

ホールンの中央にある大通りに位置する大きな教会。塔の高さは60メートル。1531年に建てられたものは焼失しており、19世紀に再建されています。

かつてはこのような建物だったんですね。

ここにはPieter Florisse Blom(1602-1658)の霊廟がありました。オランダの至るところで肖像画に出会う、ミヒール・デ・ロイテル提督と同じ艦隊にいた提督です。

ミヒール・デ・ロイテルとは

ゼーラント州フリシンゲン出身の軍人。三度にわたる英蘭戦争で大活躍したオランダの英雄。かつてのオランダ紙幣には肖像画が使用されていた。さらに彼の名前はオランダの軍艦や小惑星の名前として残されている。

 

現在は西フリージアン博物館に霊廟のレリーフが展示されています。

 

その正面には1565年の建物が。ここから広場まで右手に古い建物が続きます。

 

最後の建物には大きな魚のレリーフが。魚屋さんだったのかな?

 

広場側の壁には異国情緒漂う仮面が飾られていました。この建物に入っているレストランはメキシコ料理などを提供しているようなので、当時ではなく、後につけたものかもしれません(詳細不明)。

第二弾はここまで
次回に続くニャ!

↓ポチっとしていただけるとうれしいです♪

-オランダ, 歴史

© 2024 マリ姐は旅をする