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【ホールン街歩きレポ⑤】意外と知られていない東インド会社のライバル会社

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( ゜▽゜)/こんにちは!マリ姐です。

最近肉を食べまくっております。ストレスが溜まって食欲がなくなるとか私には無縁だと思う今日この頃。

さて、ホールンの街歩きもついに最終回です!↓

ホールンの街を歩こう!⑤

今回のルートマップ

今度は運河沿いから博物館を経て、ショッピングゾーンを通ります。水色のマークのところにちょいちょい特徴ある古い家はあるんですが、だいぶ静かな通りでマニアックなので、時間があればという感じです(この辺りになると中の人もだいぶ疲れて色々雑になってきてましたw)

晴れていて気持ちいいわね~。
緑もきれいだし、いい季節に来れたニャ

 

①倉庫たくさん

ホールン内にある出島的な場所には、たくさんの倉庫が並んでいます。ここがおそらく一番密集してる場所。

運河の街あるあるですが、駐車場スペースがなさ過ぎて常に家の前に路駐。一方通行なんだよね、きっと。

昔は車なかったもんねぇ。
運河のボートと、道路の車、ダブル路駐ニャ!

通りの名前は『bierkade(ビール埠頭)』。ここに船が横付けされて、ホールンの人々が楽しむビールが運ばれていたのかもしれません。

地名が入っている建物が多いのよね。
ゴーダ、ダンツィヒ、アルクマール、ロンドンがあるニャ

DEGERAAD(夜明け)、DE ZEN(太陽)というのもありました。似たような倉庫がたくさんなので、名前を付けたほうがわかりやすかったのかもしれないですね。

ここは1618年からのチーズ倉庫で、現在はレストランになっています。

レストラン情報はこちら➡Marque Restarant

 

②De Frachtwage

1612年の年号が入った建物。3つのレリーフが飾られています。この建物もオリジナルから何回も改装しているので、失っている部分があります。真ん中のガラス部分が不自然な気がするので、そこは変えたところかも。壁に張り付いている黒い棒みたいのは何なんでしょう。

建物の最初の所有者は貨物運送業だったそうです。馬に動きのあるレリーフがステキ♪

 

③西フリージアン博物館(Westfries Museum)

オランダ黄金時代について学べる博物館。マリ姐イチオシです。

詳細はこちら↓

【西フリージアン博物館】ホールンでオランダ黄金時代を知る!

( ゜▽゜)/こんにちは!マリ姐です。 1日が30時間あればいいのに、という思う今日この頃。記憶が薄れないうちに色々書きたいのに、気づいたら夜中になっているという。仕事の時間を短くして家にいる時間を長 ...

博物館を堪能した後は、この街で一番賑やかな通りGrote Noordを北に向かって歩いていきます。

この日は朝からずっと歩きっぱなしで、水しか飲んでなかったので、ここで思いっきり酸味のあるものが飲みたくなりました。おもちゃ屋の隣にあった、Broodje van Janというお店でベリーのスムージーを補給。

すごい量ニャ!
フタしめた後、さらに上から足してたわよw

酸味が身体に染みわたります(*´∀`*)ウマイ♪

お店の情報はこちら➡Broodje van Jan

 

④巨大なVOCマーク

Grote Noordのほぼ真ん中に位置する巨大なVOCマーク。初めて見たときは感動したなぁ・・・。いつ頃作られたものかわかりませんが、観光用かなとは思います。

  

VOCマークの周りには交易品のプレートがあるよ。
オランダ語だけど何のことかわかるニャ!

 

⑤Noorderkerk(Vrouwenkerk、北教会)

正面からの写真がありませんでした(;^ω^)

1519年に完成したホールンで一番古い教会で、ボンテク船長の父親が眠っているそうです。

 

スホーテンとヤコブの新航路発見

ここでいきなり、Willem Cornelisz Schouten(ウィレム・コルネリウス・スホーテン)について説明するニャ!

スホーテンはホールン出身の航海者。もともとVOCに雇われて航海の経験を積んだ船長でした。

1615年、Jacob Le Maire(ヤコブ・ルメール)と共に、VOCが利用している航路とは別の南米経由の航路探索とオーストラリア(Terra Australis)を探す旅に出かけます。

ヤコブの父親イサクはVOCの設立者の一人でしたが、VOCと対立して脱会した後、オーストラリア会社(Australische Compagnie)を設立。ホールン号とエーンドラハト号の船を用意し、2人に託すのでした。

ということは、VOCのライバル会社なわけだ。

VOCは東インドにおける貿易独占権を得ていた為、VOC以外はオランダの許可がなければマゼラン海峡も喜峰岬も通過することができません。イサクは新たな国の発見から得る利益を求めており、VOCと揉めたようです。

ほぼ国営会社のVOCと対立していましたが、オーストラリア会社は政府から航海と香辛料貿易の許可を得ています。経緯は謎ですが、VOCの設立者でしたから、政府内の人間にコネでもあったのでしょう。

すでにイギリスのフランシス・ドレークが南米経由の航路があることをを報告しており、2人はそこを目指すことになります。

フランシス・ドレークとは

エリザベス女王時代の女王公認の海賊(私掠戦乗り)。イングランド人最初の世界一周を成し遂げ、アルマダの海戦ではスペインの無敵艦隊を撃破した。

1616年、南アメリカ最南端の岬を回り、スホーテンがホールン出身であることから、Kaap Hoorn(ホーン岬、英:Cape Horn)と名付けられました。また、ヤコブにちなんだルメール海峡という名が今も残っています。

2人はその後、バタヴィアに到着しましたが、VOCに逮捕され、船も物資も奪われてオランダに強制送還されてしまいます。

この時のVOCの総督ってクーンじゃなかったっけ。
同じホールン出身なのに容赦ないニャ!

VOCの独占貿易権を侵害しているというのが、VOC側の主張だったのですが、実際は政府から許可を得ているわけですから、明らかにおかしいわけで。クーンの横暴性がここにも表れてますねー。

VOC総督クーンの詳細はこちら↓

ホールン街歩きレポ③街を守る2つのゲート

( ゜▽゜)/こんにちは!マリ姐です。 会社の休暇制度が改悪&退職者続出でテンション下がってます。ここんとこ、そのせいでイライラしていましたが、結論がでました。社畜にはならん!私は自分の為に生きる! ...

その後、ヤコブはオランダへの送還中に死亡。スホーテン、ヤコブの父親イサクはVOC相手に裁判を起こし、3年越しで勝訴。奪われた船、積み荷、金銭が返却され、新航路も認められることになりました。スホーテンは再度VOCに雇われましたが、航海中のマダガスカルで亡くなります。

大航海時代のオランダと言えばVOC!みたいなところがありますが、実は調べていると他の会社の存在もわかって、より歴史が面白く感じるマリ姐なのでした。

前置きが長くなりましたが、北教会にはスホーテンも眠っているとのことです。観光用に開放されてなさそう?なので、毎回外観を見るだけ。1回入ってみたいんですけどね。

 

まとめ

というわけで、5回におよぶホールン街歩きはこれで一区切り。

分けないと紹介しきれないほど、ホールンは魅力に溢れた町だと思います。これを読んでホールンに行ってみたいと思う日本人が少しでもいてくれることを願う。

しかし、街歩きレポはまだまだ先があります。まだ1つの街が終わっただけです。

スペックを上げた新しいPCも購入したことですし、届いたらペース上げて執筆していきたいと思います。

次の街歩きはエンクハイゼンだよ。
またたまマニアックな街ニャ!

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