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アフリカ大陸の南はVOCの重要な中継地!【ケープ植民地と喜望峰】

( ゜▽゜)/こんにちは!マリ姐です。

GO TO TRAVELキャンペーンで盛り上がったり盛り下がったり忙しいですね。仙台旅行まで一ヶ月以上ありますけど、それまでにはある程度落ち着いてるのかなぁ・・・9月のシンガポールは半ば諦め状態であります。

さて、今回もVOCアーカイブの資料をご紹介しながら、大航海時代ネタ。

西欧からの船の中継地で有名な場所といえば、喜望峰のあるケープですね!

 

長期航海におけるアフリカ南の重要性

15世紀、すでにポルトガルのバルトロメウ・ディアスによって発見されていた喜望峰ですが、オランダが最初に理想的な航海の中継地としての価値を見出していました。東アジアへの航海中、新鮮な水、野菜、肉を確保することは非常に重要であり、それが不足して船員の多くが病気にかかり、死者をだしていたのです。

私だったら1日でギブアップだわ。
よくそんな中、船に乗っていたニャ~

1651年、オランダ東インド会社(VOC)はアフリカのケープヤン・ファン・リーベック(Johan Anthoniszoon "Jan" van Riebeeck)を派遣して、開拓することを命じました。90人の入植者で砦を建設、菜園を作り、地元のコイコイ族から家畜を買いました。これがケープ植民地です。

植民地は拡大を続け、さらに奥地を開拓し続けました。そのせいで、元々住んでいた民族は追い出されることになるのです。

航海の歴史には侵略、略奪がつきものね。
勝手にやってきて、土地を奪うのはひどいニャ

その後、ナポレオンの時代にイギリスによってケープ植民地は奪われ、オランダ暗黒時代が始まることになります。

 

ケープとロベン島

Rovert Gordon and Johannes Schumacher, 1778

すごく長い絵だニャ!!
7メートルあるのよ。展示するのも大変ね。

VOC駐屯軍の指揮官が、喜望峰の防御上の弱点を研究する為に描いたものです。囚人が送られるロベン島も描かれています。

実際のロベン島

上の絵とは撮影した場所が若干異なるようですが、写真と比べてみても、だいぶ忠実に描かれているのがわかりますね。

 

Tafel Bay(ケープでオランダ船が停泊した場所)

地図の上が南をさしています。こちらにもロベン島が描かれていますね。

ロベンはアザラシを意味するオランダ語。17世紀後半から、オランダ植民地の囚人が収容された刑務所がありました。アパルトヘイト時代にはネルソン・マンデラも収容されたそうです。

現在はロベン島自体がアパルトヘイトに反対した人々が収容された場所としてユネスコ世界遺産に登録されています。

 

船は危険がいっぱい

Registration of deaths on ships arriving at the Cape 1689-1693

これはケープにおいて常に最新の状態に更新されていたリストです。記録されているのは、各船の病人と死者の数。ケープへの航海は常に危険が伴い、船員は事故、壊血病などに見舞われました。

事故ってマストから落ちたりとか?
海賊や他国が襲ってきて戦闘になったこともあったニャ

 

The instruments of ship's surgeon Cornelis Solingen 1650-1700

VOCの医師であったコルネリス・ソリンゲンは手術道具を自作していました。真ん中のピンセットは骨折した骨を固定する為のもの。右ののこぎりは手足を切断する為のもの。左のマウススクリューは患者の口を開いたまま歯を抜く時に使います。

抗生物質がない時代だもんなぁ。手足を切断することが多かったんでしょうね。
でもその後失血死する可能性もあったニャ

船上の衛生状態は絶対よくなかったでしょうし・・・私には絶対無理!!消毒しまくりの今の日本と雲泥の差です。この器具だって、海水で洗って使いまわしたのかもしれないと思うと・・・(;´Д`)ヒィー

 

ケープの開拓とコイコイ族

General and detailed description of Cape of Good Hope, Peter Kolve, Amsterdam 1727

Contact with Khoikhoi at The Cape Krotoa in the Day Registers 1654

ケープ植民地を建設したヤン・ファン・リーベック(Johan Anthoniszoon "Jan" van Riebeeck)は、妻の召使いとして雇ったコイコイ族(南アフリカの民族)の女の子、Krotoaについて記録しています。

1662年にリーベックが去る時、彼女にエヴァという名前を与え、洗礼を受けさせています。1664年、エヴァはVOCの外科医ピーター・ヴァン・メールホフと結婚し、南アフリカで初めての多民族一家となりました。

リーベックは長崎に派遣されたこともあるのよ。
マラッカ総督もやっていたニャ。バタヴィアで亡くなったニャ。

 

ケープと喜望峰には行ってみたいけど・・・

大航海時代ヲタとしては、ケープや喜望峰への憧れがあったりします。

今回紹介した資料を見ても、どんな場所だったんだろう~と色々想像することがあります。

が、いかんせん、南アフリカ共和国は危険過ぎる!!外務省のホームページから拾ってきたこのデータを見て下さい。

○ 殺人    21,022 件(57.6件)
○ 殺人未遂  18,980件(52.0件)
○ 重傷害   170,979 件(468.4件)
○ 凶悪強盗  140,032 件(383.6件)
○ 侵入窃盗  220,865 件(605.1件)
○ 車上ねらい 125,076 件(342.7件)
○ 薬物関連  232,657 件(637.4件)
○ 性犯罪   52,420 件(143.6件) ※()は1日当たりの発生件数

件数が異常・・・(((((((lll゚д゚)゚。
1日だけでこんなに犯罪が起こってるのかニャ!!∑(゚д゚;)

信号待ちで車が停まっている間にカージャックが起こるらしいです。平和ボケした日本人なんかが行ったら、身ぐるみ剥がされます。

いくら大航海時代の聖地とはいえ、この数字を見てしまうと、到底行く気にはなれません。そう簡単に治安がよくなるとは思えないので、私が行くことはないでしょう。

同じ理由で、インド(ベンガル植民地)やガーナ(奴隷貿易の拠点エルミナ城)にも行くのはムリかなーと思っています。

治安もだし、衛生面も気になるわねぇ。
できるだけ安全に旅行したいニャ

そんなわけで、ネットに転がっている画像や動画、旅先で集めた歴史資料をもとに、大航海時代の南アフリカに行った妄想をして満足したいと思います。

以上、マリ姐でした!

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