オランダはホールンが熱い!
オランダに旅行で訪れて、アムステルダム以外にはどこに行きますか?
デン・ハーグとロッテルダムは定番ですね。
フェルメール好きならデルフト。風車ならキンデルダイクかザーンセ・スカンス。チューリップと言えばキューケンホフ。
しかし、大航海時代ヲタの私は声を大にして言いたい。日本人はホールンに行くべし!と。
大航海時代ヲタとは
有名観光スポットをたびたびスルーし、あくまで大航海時代スポットをつぶしにいく人のことである。海洋博物館がパワースポットで、帆船を見ると血が騒ぐ。
そんなわけで、今回はホールン(Hoorn)についてレポートです。
ホールン(Hoorn)はどんなところ?
オランダ北部アイセル湖(旧ゾイデル海)に面した港町です。
オランダ連合東インド会社(VOC)と西インド会社(WIC)の支社があった街で、オランダ黄金時代に大繁栄しました。現在はたくさんのヨットが停泊する静かな町です。
ホールンにはVOCの支社があったので、日本と繋がりがありますし、今でも古い町並みが残っていて、見どころがたくさんあります。
ホールンへのアクセス
アムステルダムから電車で約30分。エンクハイゼン行きの電車だと乗り換えなしで行けます。ホールン駅から街の中心地であるローデ・ステーン広場までは徒歩15分くらい。気軽に日帰り旅行できる地方都市です。
ホールンの街を歩こう!
厚めのガイドブックにはかろうじて紹介が載っていますが、日本語の情報は少ないです。私はホールンの公式サイトやWiki、また東インド会社お抱え地図職人ブラウの残した古い地図で情報を集め、独自の地図を作成して回りました。
ここからは今回マリ姐が歩いたルートでホールンのスポットを紹介していきます。とても1回では紹介しきれないので、分けて紹介していきます。
ホールン街歩きのコツ
歴史的な建物にこのようなプレートがつけられています。また、QRコードをその場で読み込めば、説明が表示されます。スマホやタブレットを持っている人は是非これを活用しましょう。
※私が紹介するすべてについているわけではありません。
説明はオランダ語ですが、Google翻訳のアプリが入っていれば、日本語に訳すか聞いてくれるので実に便利。日本語はおかしいですが、なんとなく意味はわかります。
今回のルートマップ
駅をでてから、大航海時代に城壁のあった北の運河沿いを歩いていきます。
①Voormalig Pesthuis
1599-1668まで孤児院として、1795-1922には兵舎として利用された建物。現在は復元されてきれいな状態になっており、ABNアムロ銀行が利用しているようです。
右にチラッと写っていますが、海外のATMってなんで日本より危険なのに外にあるんでしょう。絶対お金持ってるってわかるから危ないと思う。外にあると細工とかされてスキミングとか心配だし。
②Timmermansgildehuis
1630年頃に建てられたホールンで唯一残っている大工のギルドホールなんですが・・・入口しか見えない。。扉のところに年号が書いてありますね。ホールは中庭にあるらしく、見ることができず残念。
Wikiには少しだけ内装の写真が掲載されています。➡内装の写真
③St. Pietershof
1577年に修道院として建てられ、その後1617年に宿泊施設に。老人ホーム、孤児の為の施設の機能があったり、色々用途は変わっている様子。奥行きのあるかなり大きな施設で、中庭も2つあります。➡中庭の写真
ユニコーンがホールンを抱えているホールン市のマークがかっこいい。重要な建築物では何回か見かけます。かなり敷地面積が広く、増築、修復を重ね、どんどん大きくなっていたようです。
④Claes Stapelhofje
1682年に裕福な人達によって建てられた福祉施設。事情があって家族と一緒に暮らすことのできない高齢の女性(未亡人とかかな)に提供されていたようです。その後ラテン語スクールになり、今は一般の家庭が利用している模様。
複数の世帯が入れる複合施設みたいです。ギザギザ屋根は大航海時代の建物の特徴。
ちょっと休憩
東インド会社お抱え地図職人、ブラウは各都市の詳細な地図を残しており、ホールンもこんな感じで記されています。
Claas staple's hofをでて橋を渡った時に見つけた水門。
地味だし、プレートもないんだけど、古地図と一致するポイントを見つけると、私はテンション上がります。
⑤Doelengebouw
1527年にSint-Sebastiaansdoelenとして建設された、ホールンを守る民兵の為の施設。1615年の改装で3つの施設が複合されたものになったようです。民兵と言っても、徐々に機能しなくなり、ほぼ社交クラブのようなものだったそう。
定義がいろいろあるようですが、この場合、ホールンに根差した市民軍ってところでしょうか。
その後の何回も改装が繰り返されており、古いスケッチと比べると中央のアーチの部分は1615年に作られた状態を留めていることがわかりますね。
この建物の奥で民兵が訓練をしたり、パーティーができるようになっていたとか。この建物の裏手はdoelen広場になっていて、現在は駐車場になっています。そこが訓練スペースだったのかもしれません。
この施設ににアクセスする為の入口が他に2つあり、裏のAchter de Vestを歩いていると見つけることができます。
⑥St. Joris- en St. Sebastiaanpoortje
それが聖セバスチャンの門と聖ジョージの門です(ジョージの門は写りが悪いんで省略)
⑦Maria- of Kruittoren
1508年に築かれた後期ゴシック様式の半円形の防衛塔。市の防衛の為、5つの塔が建設されましたが、防衛機能を失い、徐々に壊されていき、現在残っているのはこの塔だけです。
十字や逆T字の穴はマスケット銃で撃つためのものだそう。手前のギザギザ部分は城壁とのつなぎ目みたいですね。以前は運河の中に埋まっていたようです。
⑧V.O.C. Pakhuizen
右の建物は1606年に建てられたVOCの倉庫で、左の建物は1610-1615年に追加されたものだそう。船舶の道具や食料、東インド(現在の東南アジア)から運ばれた香辛料などがここに集められていました。その後、宿舎になったり、様々な用途で利用されていたようです。現在は大幅な修復作業が行われ、劇場、オフィス、歯科医の訓練施設などになっています。
帆船のレリーフがとてもステキなので、是非見てほしいです。
倉庫の前は運河が通っています。ここに帆船を停泊して、荷物の移動をしたのかなぁと想像するのも楽しい。
対岸から見ると奥に伸びている倉庫ということがわかります。