オランダ 歴史

デン・ハーグのおすすめスポット【ビネンホフ】を楽しもう!

2019年7月2日

( ゜▽゜)/こんにちは!マリ姐です。

いよいよ台風の季節到来ですね。私は頭痛と肩こりとの闘いに備えております。この戦いに勝ってちゃんとブログを更新したいです(切実)

さて、今回はオランダの政治の中心、デン・ハーグのビネンホフについて!

ビネンホフ(Binnenhof)

ネーデルラント連邦共和国(以下、オランダ)成立後、連邦議会が設置された場所。現在も国会議事堂・総理府・外務省として機能しています。ビネンホフとは、「中庭」という意味です。

日本は政府機関が東京にありますが、オランダは首都がアムステルダムで、政府機関はデン・ハーグにあるんですよね。マレーシアも首都はクアラルンプールで、政府機関はプトラジャヤに移している最中じゃなかったかな。

事前予約で内部の見学ツアーに参加できます(日曜、祝日を除く)。ガイド言語はオランダ語か英語。日本語の音声ガイドはありませんが、配布資料にはあるようです。国の公式行事が行われる時は見学不可になるので、参加したい人は調べておいた方がいいでしょう。

まだ中には入ったことがないのよね~
今日は外観とその周辺のレポなのニャ

内部見学の予約はこちら。↓

 

ビネンホフはオランダ黄金時代の雰囲気を楽しめるスポットです。マリ姐の大好きな大航海時代の歴史を絡めてレポしていきます。

※数回にわたって訪れた写真を使っているので、天気がコロコロ変わるのはご了承下さい。

 

ビネンホフを通り抜け

中庭を堪能しよう!

マウリッツハイツ美術館の隣からビネンホフは通り抜けできるようになっていて、中庭の見学だけなら無料です。

目玉はリデルザール(騎士の館)でしょう。ここで国王が毎年スピーチするそうです。

13世紀、オランダの伯爵フロリス4世が、自分の屋敷を建てる為に池の隣の土地を購入しました。それがビネンホフのはじまりです。騎士の館は後継者のウィレム2世によって建設され、息子のフロリス5世の代に完成しました。その後、どんどん増築され、様々な用途を経て、今に至っています。

オランダができた時には総督の屋敷であり議会だったのよ。
初代総督ウィレム1世の息子、マウリッツもここに住居をかまえていたのニャ

※マウリッツについてはこの後触れます。

左が美術館方面

素敵な建物ですよねぇ・・・ここに来ると大航海時代にタイムスリップした気分になれます。

増築されたのがわかる

中庭には19世紀に市民によって寄贈された噴水があります。一番上には先ほど話に出たウィレム2世(13世紀)の像が施されています。

ウィレム2世が多過ぎてわけわからん(;´・ω・)
ここでいったん整理するニャ!

 

3人のウィレム2世

オランダの歴史において、ウィレム2世は3人登場します。(もっといたらごめんなさい)

ホラント伯ウィレム2世(1227-1256):ビネンホフを建設。神聖ローマ帝国の王。

オラニエ公ウィレム2世(1626-1650):初代総督ウィレム1世の孫でオランダ総督。

オランダ王ウィレム2世(1792-1849):フランス撤退後のオランダ王国で第2代国王。

ややこしい・・・w
同じ名前をつけすぎニャ~w

噴水のウィレム2世はになります。王室の方々の名前って同じのばかりだから、覚えるのが難しいですよね。

ここでなぜとりあげたのかというと、中庭からSpui駅方面へ通り抜けするとウィレム2世の騎馬像があるんですが、それはのウィレム2世なんです。

Wikimedia Commonsより

建物を挟んで2人のウィレム2世の像があるのね。
勘違いする人いそうニャ

 

ホフ池をぐるっと散歩

Spui駅方面にでて、ぐるっとホフ池をまわってみて下さい。様々な角度からビネンホフの建物を観賞できます。ハーグ歴史博物館プリンスウィレムVギャラリーにはこの角度からビネンホフを描いた絵画が展示されていて、今とほとんど変わらない様子を知ることができます。

あの高い塔にマウリッツが住んでいたとどこかで聞いたことがある。

ビネンホフの対岸は緑が整備されていて、歩くと気持ちいいです。ここは晴れた日に来たいです。

昔は貴族が散歩してたのかなぁ?(´∇`)
貴族になった気分で歩くニャ(゚∀゚ )

そして、正面からもいいですが、ハーグ歴史博物館の前から撮影するのがオススメ!聖ヤコブ教会(Grote of Sint-Jacobskerk)も写ってステキな写真が撮れます。

マリ姐の大好きな場所です。ハーグ滞在時には毎日来てました。ここで大航海時代の様子を妄想するがの好きです。

美しい景色ニャ~

 

オランダと東インド会社の立役者

そして、ビネンホフの対岸ちょうど真ん中あたりに注目すべきスポットがあります。

ヨハン・ファン・オルデンバルネフェルト(Johan van Oldenbarnevelt、1547-1619)の像です。

これを見て興奮するのは歴史好きとDOLプレイヤーね。
大航海時代オンラインではバルネフェルト議長として登場したニャ!

オルデンバルネフェルトとは

1600年頃に成立したネーデルラント連邦共和国(オランダ)を支えた政治家・法律家。複数の会社を束ねてオランダ連合東インド会社とし、各国に対抗するべく主導した人物。

【オランダ建国とウィレム1世の暗殺についてはこちら↓】

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ここからウィレム1世の暗殺後のオランダについて説明するニャ!

マウリッツの肖像。Wikimedia Commonsより

ウィレム1世暗殺後、次男のマウリッツがオランダ総督になります。

総督は軍事面のトップ。当時のオランダ総督には君主的な意味もあったの。
また、各州には政治・経済面のトップとして法律顧問がいたのニャ

オルデンバルネフェルトはホラント州の法律顧問でした。徐々にオランダ全体を先導する立場になっていきます。そんな中、オランダ連合東インド会社が成立し、オランダ黄金時代が始まるのです。

オルデンバルネフェルトは経済面でマウリッツを支えていましたが、2人の意見が合わないことは度々ありました。

1609年、八十年戦争(オランダ独立戦争)が休戦。マウリッツは休戦反対派であり、休戦を主導したオルデンバルネフェルトに対してさらに不満は増していきます。

ケンカする気配しか感じられないわねー

そして休戦中に、カルヴァンの予定説の解釈で争いが起こるのです。

予定説とは

カルヴァンが提唱したキリスト教の神学思想。神によって救われる者とそうでない者はあらかじめ決められていて、現世の行いは関係ないという考え。プロテスタントの一部に受け入れられている。

解釈に対して2つの派閥に分かれて、バルネフェルトは寛容、マウリッツは厳格派だったのニャ

寛容派は富裕層の支持が多く、宗教の違いによる争いをできるだけ避け、商工業を発展させようという考えでした。

一方、厳格派は一般市民、軍部に支持され、カトリック、スペインを完全否定。カトリックに支配されているネーデルラント南部の解放を求め、国内にいるカトリック信者を黙認していることに対しても否定的でした。

父親のウィレム1世はカトリックだったけど、息子はそれも認めなかったってことなのかしら。
彼がどう思っていたのか興味あるニャ

もとは教義の解釈の違いでしたが、それに政治的事情が結びついて国家論争にまで至ったというわけです。

最終的にはマウリッツがクーデターを起こし、厳格派が勝利。翌年、バルネフェルトは国家反逆罪で逮捕され、不当な裁判ののち、処刑されます。

クーデターとは

支配階級内部での権力移動の中で、暴力的・軍事的行為(非合法)によって政権が奪われること。

Wikimedia Commonsより

騎士の館の前で処刑されたのね。。

オルデンバルネフェルトの像は自らが処刑されたビネンホフを見つめるように建てられています。それを知っていると複雑な気持ちで像を見てしまいますね。

そして、2019年はオルデンバルネフェルトが処刑されて400年だそうで、つい先日までハーグ歴史博物館で特別展示をやっていたそうです。行きたかった!!

 

ビネンホフへのアクセス

ビネンホフはデン・ハーグ中央駅(Den Haag Central)からトラム5番、2番、3番、6番、10番で Spui駅下車、徒歩3分。ホフ池側に行きたい場合はトラム15・16番のBuitenhof駅が近いです。

【トラムで行く場合はこちらを参照】

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ビネンホフはオランダにとって重要な場所、そして素敵な写真が撮れる場所。デン・ハーグに来たら絶対に行ってほしいです。

以上、マリ姐でした!

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