今回は最近注目されている?スポット、デルフスハーフェンについてお話したいと思います。
デルフスハ―フェンとは
ロッテルダム西部に位置する、17世紀の面影を残す地区。というのが、一般的な説明。ロッテルダムは空襲に遭って昔の建物はほとんど残っていませんが、デルフスハーフェンは免れており、最近はインスタ映えするとかで以前より注目されてるみたいです。
ネットを見ていると、見るものなくて思ったほどじゃなかったとか、背景がいい感じのところで写真撮ってインスタに載せているのを見かけるんですが・・・それだけじゃなーい!!!!
ほんの少しの歴史を知れば、デルフスハ―フェンはより面白くなる!!とマリ姐は大いに主張します。
というわけで、デルフスハーフェンをより楽しむにあたり、最低限の歴史を詰め込んでみました。参考になったらうれしいです。
デルフスハーフェンはデルフトである。
デルフスハ―フェン(Delfshaven)は『デルフトの港』という意味です。なんでロッテルダム西部にあるのに、ここでデルフトがでてくるの?と思うかもしれません。
大航海時代、オランダにはオランダ連合東インド会社(以下、VOC)がありました。VOCには5つの支社があり、デルフトはそのうちの1つ。支社はそれぞれが船を建造し、東アジアに船をだしていました。しかし、デルフトは内陸の街。海に面していません。そこで、川で繋がっていた10キロ先ににデルフトの港を作ったわけです。
デルフハーフェンがロッテルダムに併合されたのは1861年。そんなわけで、大航海時代ヲタとしてはデルフスハーフェンをロッテルダムと捉えるのはいささか抵抗があるのです。
これは当時のデルフスハーフェンの地図。左側がデルフト方向で北、右側が南です。現在のデルフスハーフェンはもっと広範囲を指します。デルフスハーフェはニシン漁と捕鯨が主な産業でした。そこにジン蒸留とVOCの貿易が加わって栄えたのです。
デルフスハーフェンを歩こう!
上の地図と比べると南側が埋め立てられているのがわかりますね。ロッテルダム中央駅から行くときは4番トラムかメトロで行くのが速いです。8番トラムでも行けますが、遠回りのルートになります。
①デルフスハーフェンといえばこの場所
デルフスハーフェンの観光用写真はよくここから撮影されます。残念ながら私が行った時は外装工事中でした。アムステルダムは見渡せばこのような景色ばかりなのですが、あくまでロッテルダム基準では珍しいということで注目されているのでしょう。
別の角度からも。
裏手に行くと古い年号の入った建物があります。通りの向かい側にもレリーフ付きの家がありました。当時の様子を妄想しながら歩いてみて下さいませ。
②Pelgrimvaderskerk(ピルグリム・ファーザーズ教会)
もとは1417年に建てられたローマ・カトリック教会。1574年にプロテスタントの教会に改革されました。
ピルグリム・ファーザーズとは
信仰の自由を求めてメイフラワー号でアメリカに渡った清教徒(イギリスのプロテスタント)。彼らは北アメリカでキリスト教徒の理想社会を築くことを目指した。
ここで当時のイギリスについて説明します。
エリザベス1世の母親アン・ブーリンと結婚したかったイギリス国王ヘンリー8世。前妻との婚姻を無効化するにあたりローマ・カトリックと喧嘩をしてイギリス国教会(プロテスタント)を作りました。とはいえ、無理やり作った国教会はカトリックの影響を色濃く受けているものでした。そこで、よりプロテスタントに近づけていこうと清教徒が改革をするようになります。
その中でも国教会内で改革を起こそうとする非分離派と、完全に国教会から離れて別の教会を作る分離派がおり、後者は迫害を受けていました。
迫害を受けた清教徒たちは、オランダに移住します。ところが、子供がオランダの影響を受けていくのを恐れた親たちは、なんの影響も受けない場所を求め、現在のアメリカに行くことを決意。デルフスハーフェンから旅立つのです。
というわけで、彼らに由来する教会です。私達は世界史を習う時にピルグリム・ファーザーズ、メイフラワー号を穴埋め問題の為に覚えた記憶しかないですよね。ここでまた思い出すことになろうとは。
歴史小話:オランダの英雄ピート・へイン(Piet Hein)
デルフスハーフェンで生まれたピート・へイン(Pieter Pietersen Heyn)は東インド会社(VOC)で働いた後、西インド会社(WIC/GWC)に入り、総督となりました。
西インド会社設立の当初の目的は、スペイン艦隊が南米から持ち帰る銀を奪うこと、つまり海賊行為です。
彼は数々の功績を残して勲章を受け取っていますが、その中でも一番大きな功績は、1628年に大量の銀を運んでいたスペイン艦隊を拿捕したことです。オランダに現在の価値で5億ユーロの利益を与えたようです。
計算が違ってたら(≡人≡;)スィマセン…これによりオランダは八十年戦争の資金を得たと言われています。
アムステルダム国立美術館やオランダ海洋博物館にはWICの展示があるので、この歴史を覚えておくだけでも理解度が変わってくるでしょう。
現在、ピート・へインはデルフトの旧教会に眠っています。
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【デルフト旧教会】オランダの偉人が眠る場所
( ゜▽゜)/こんにちは!マリ姐です。 芸術の秋はフェルメール展!とテンション上がってるうちに、デルフトのスポット紹介をやっていきたいと思います。 旧教会(Oude Kerk) 14世紀に建てられた教 ...
そんなわけで、続いてピート・へインのスポットを紹介していきます。ちなみにピート・へインは日本語だとピート・ハインと表示されることもあり、アルファベット表記だとHeynだったりHeinだったりします。ややこしいですね。
③Piet Heynsburg(ピート・へイン橋)
オランダの英雄、ピート・へインの名前がつけられた橋。ピルグリム・ファーザーズ教会の前にあります。上の方にある紋章は魚と麦。デルフスハーフェンの紋章のようです。ニシン漁とジン蒸留ってことでしょう。
時間があればここをずーっと歩いていって景色を楽しむといいですね。レストランもあるようです。
こちらはDe Dubbelde Palmboomという1825年に建てられた元穀物倉庫。蒸留所の後、歴史博物館になりましたが、現在は閉鎖されていて空です。
④Piet Heynstraat(ピート・へイン通り)
ピート・へイン橋近くにある地味~な通り。ピート・へインの説明プレートがありますね。ちなみに同じ名前の通りはデン・ハーグにもあります。
この通りにピート・へインの生家があったのです。このプレート付きの家は記念館であり(中に入れない)、元の建物はありません。ちょっと見づらいですが、建物真ん中にあるフェンスの上に小鳥が乗っているのはヒート・へインの紋章?らしいです。
⑤Piet HeynspleinとStandbeeld van Piet Hein
ご覧の通り、さみしい場所に像が1つポツンと立っているだけ。もともとは立派な公園兼広場だったようなのですが、開発によって緑は失われ、全然手入れされていない感じがします。閉鎖された博物館といい、なかなかオランダ経済も厳しいのかもしれません。再度デルフスハーフェンが注目されることによって、また環境がよくなるといいのですが。
こちら側はだいぶ歴史的建物が失われているようです。
そして広場に面した通りを南に進むと、ピート・へインの名前が入った建物がありました。プレートついてるのにちゃんと見るの忘れた!1888年に建てられた工場です。名前とは関係なさそう。
⑥V.O.C.burg、VOC Zeemagzaijn、V.O.C. Plein
この橋・・・VOC burgと名の付く橋なのですが、どう見ても、現代に作られた橋。一応、昔から橋はあったのようなのですが、さすがに耐久性の問題とかで変えられてしまっているようですね。
その先には・・・
東インド会社(VOC)デルフト支社により1672年に建設されたVOC Zeemagzaijn。VOCの倉庫の1つで、1746年の火災後、シンプルな形で再建されています。長い間放置されていたのでしょうか。だいぶ廃れている気が・・・w
VOCデルフト支社の建物で残っているのは、デルフトにある支社とその向かいの倉庫、そしてこの計3つです。
火事で焼ける前はこんな建物だったのですね。4つの球体が飾られている建物、あー生で見たかったなぁ!
私が行ったときは改装中で、今後オフィススペースと住居として活用されるそうです。デルフト支社と同じようになるのですね。
入口のところにあるVOCマークのフェンス・・・元はVOCDマークだったそうですが、壊されて直したらD(デルフト)なしになったようです。
そして建物の横の道を通っていくと・・・
V.O.C. Plein(VOC広場)があります。
かつてはここにVOCの船乗りやら幹部やらが集まって談笑していた・・・のでしょうか?ここは妄想力を発揮するところです。
そして、さらに南下すると、博物館があります。
⑦Museum ship delft
18世紀に活躍し、スヘフェニンゲン沖に沈んだDe Delftという中型戦艦のレプリカ建設を見学できる博物館。De Delftはオランダの民間商船、VOC、WICの船の護衛をする役割をもった船でした。
博物館では沈没船から引き揚げられた品も見ることができます。客が私しかいなくて、完全に貸し切り状態(;^ω^)ミュージアムカードは使えませんし、日本語の情報はほぼないでしょう。
レポート書いたらリンクを貼る予定です。
歴史を知ってデルフスハーフェンに行こう!
デルフスハーフェンが作られた背景、そこで生まれた海の英雄、これを知っているだけで訪れた時の印象が変わってくると思います。
ロッテルダム中心地からは少し離れていますが、是非足を運んでみて下さい。
32 地球の歩き方 aruco オランダ 2018~2019 (地球の歩き方aruco)