北欧旅行のレポ中ではありますが、オランダネタがまだ残っております。
今日はデルフトにある博物館について!
プリンセンホフ博物館 (Het Prinsenhof)
デルフトはフェルメールの故郷として有名ですが、マリ姐的には東インド会社デルフト支社があった街として熱いです。
そして、ネーデルラント連邦共和国、今のオランダの事実上の初代君主、オラニエ公ウィレム1世が住んでいた街という点も大事です。
-
デルフトでフェルメールの聖地巡礼【おすすめ観光スポット】
( ゜▽゜)/こんにちは!マリ姐です。 フェルメール展で公開される絵画が発表されましたね!オランダ以外の国にある作品が集まるので、大変楽しみにしています。そんなわけで、今年はフェルメールで大いに盛り上 ...
旧教会の隣に16世紀は修道院で、その後ウィレム1世が対スペイン戦争中に拠点としていた建物があります。現在は、スペインによる抑圧に対抗し、オランダが独立に至った経緯を知ることができる博物館となっています。
ただ、大航海時代の始まりとオランダ独立はほぼ同時期なので、私は次第に調べるようになりました。オランダの歴史は興味深いですけど、戦争の話が続くとだんだん億劫になってくるのも確か。。。
なので、なるべく難しいところは省略しつつ、ざっくりオランダ独立の歴史を理解できるくらいにまとめます。
今回の写真は2016年に訪れた時のものですが、特別展示以外はそんなに変わらないはずです。オーディオガイドはありますが、日本語には対応してません。
私は旧教会側から出入りしたんですけど、トラム側の入口から入ると中庭があったらしい。初めてオランダに行って舞い上がってた時だったから気づいてなかったんだろうなー。引きで写真が撮れてない・・・ですが、元修道院で総督の住居だっただけあって、雰囲気あってステキな建物です。
ミュージアムカード利用可能。他にもロッテルダムパス、デルフトパスやコンビネーションチケットがあるようなので、詳細はHPをご確認下さい。
ざっくり理解!オランダ独立前の状況
まずは簡略化された地図をご覧下さい。
ネーデルラントは現在のベネルクス3国(ベルギー、オランダ、ルクセンブルグ)あたりを指す言葉です。全部で17州あり、北部7州はプロテスタント中心、南部10州はカトリック中心。
15世紀後半からのネーデルラントはフランドル地方も含め、ハプスブルク家が支配するようになっていました。
ハプスブルク家は跡継ぎ2人に領土を分けた時にオーストリア系とスペイン系に分かれ、ネーデルラントはスペイン系フェリペ2世の支配下になります。
フェリペ2世とは
スペイン最盛期の国王。ヨーロッパ、中南米、アジアにおよぶ大帝国を築く。地中海の覇権を争っていたオスマン帝国も破りさらに勢力を拡大。イギリスのメアリー1世(エリザベス女王の姉)と結婚していた時は、イギリスの共同統治者だった。のちにポルトガル王も兼任。カトリックの熱心な信者だったとされる。
カトリック VS プロテスタントはここでも。
カトリックによる国家統合を目指していたフェリペ2世はネーデルラントに使者を送り込み、プロテスタントへの弾圧を強めます。この時の弾圧というのは、プロテスタントをカトリックの異端者として裁判にかけて処刑するってことです。
当然プロテスタントは不満を募らせ、フランドル地方で反カトリックの暴動を起こします。
この頃、ネーデルラントの有力貴族だったのがオラニエ公ウィレム1世です。若い頃はイケメンじゃないですか?若き日のジュード・ロウに似てる気がする。
その後、スペインはアルバ公を派遣し、さらにプロテスタントへの弾圧は強まります。ネーデルラント貴族20人は暴動の責任を問われて処刑されますが、ウィレム1世はドイツの逃れていて無事でした。
アルバ公とは
本名フェルナンド・アルバレス・デ・トレド。海外では悪名高くスペイン王に忠実であり、プロテスタントに対して妥協しなかった為、鉄の侯爵と呼ばれていた。
1568年、ウィレム1世は反乱を起こします。ここから八十年戦争(オランダ独立戦争)の始まりです。
この時は敗北しましたが、海乞食(プロテスタント・カルヴァン派の貴族を中心とした海賊集団)と共に活動し、徐々に勢力を回復していきます。
アムステルダムを含む一番大きなホラント州はもともとカトリック側でしたが、ウィレム1世が港湾都市を制圧するようになるとプロテスタント側に寝返ります。
そして、ウィレム1世はホラント州・ゼーラント州の総督として受け入れられるのです。
その後、北部を中心にユトレヒト同盟が結成され、1581年にフェリペ2世の統治権を否定します。
実際に独立宣言があったわけではないですが、このタイミングがネーデルラント連邦共和国(現在のほぼオランダ)の誕生とされています。
南ネーデルラントはカトリック勢力が支配し、のちのベルギーとなります。この後も八十年戦争は続く。
そして、暗殺へ。
オランダ独立から約3年後、このプリンセンホフでウィレム1世はカトリック信者のフランス人によって暗殺されます。当時の弾痕の痕は今も残されていて、これがこの博物館のメインと言えるでしょう。
ウィレム1世が暗殺された後は、次男マウリッツ、三男フレデリク・ヘンドリックが後を継ぎ、フレデリクの亡くなった翌年にオランダの独立が国際的に承認されます。
実はウィレム1世は生涯カトリック教徒だったとされていますが、プロテスタントが皆殺しにされようとしているのを知り、プロテスタントの為に動いた人物だそうです。彼自身は宗教に寛容だったんですね。
一度は北部の総督をカトリックのアンジュ―公に頼んでいることからも、ただの宗教戦争ではなかったことが推測されます。結局、アンジュ―公には断られ、ウィレム1世が初代君主に。
現在、ウィレム1世はデルフトの新教会で眠っています。
-
【デルフト新教会】鐘楼上りにチャレンジ!そこには感動が待っている。
( ゜▽゜)/こんにちは!マリ姐です。 芸術の秋はフェルメール展~♪ というわけで、前回のデルフト旧教会に引き続き、今回は新教会を取り上げます。 デルフト新教会(Nieuwe Kerk) 1381年に ...
オランダ王家の展示
ウィレム1世の展示の後は、オラニエ一族に関する展示。たくさんの肖像画がありました。あと家系図も!
ナポレオンに支配された時代を経て、ウィレム1世の子孫であるオラニエ=ナッサウ家が復帰し、現在のオランダ王家となっています。
国王には3人の娘さんがいらっしゃいますので、将来は女王が誕生するということになりますね。
特別展示にも注目!
私が行った時は『Verdwenen Delfts schuttersstuk terecht 』というデルフトの民兵(地元に根付いた市民軍)に関する特別展示がありました。
200年間行方不明だった絵画が、パリのオークションで発見されたらしく、それを記念したものでした。
そして、2019年10月11日から2020年2月16日までピーテル・デ・ホーホに関する展示があります。フェルメールと同時代の画家であり、フェルメールに影響を与えたと言われています。めっちゃ気になりますね。
デルフト焼のコレクション
また、2013年に閉館したデルフトの美術館に展示されていた陶器(デルフト焼含む)のコレクションも展示されています。
プリンセンホフ博物館はトラム1、19番のDelft, Prinsenhof駅からすぐ。Delft駅からは徒歩約10分です。
以上、マリ姐でした!