フェルメール展で公開される絵画が発表されましたね!オランダ以外の国にある作品が集まるので、大変楽しみにしています。そんなわけで、今年はフェルメールで大いに盛り上がりそうなので、このタイミングでフェルメールの故郷、デルフトを紹介していきたいと思います!
デルフトってどんなところ?
大航海時代に東インド会社の支社(VOC)が置かれ、繁栄した内陸の町。新旧教会にはオランダの有名人がたくさん眠っています。
日本絡みだと、リーフデ号に乗って日本に漂着したヤン・ヨーステンがデルフト出身です。徳川家康に信任され、江戸城の近くに土地を与えられました。
また、もともとデルフトでは陶磁の生産が行われていましたが、VOCの影響で中国の磁器、日本の伊万里焼が伝わったことにより、独自に発展。現在もデルフト焼としてお土産の定番となっています。
デルフトはフェルメール、東インド会社、オランダ建国など、様々な視点から楽しむことができる町です。
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月曜日がオススメ?
もしオランダ旅行の日程に月曜日が含まれているのであれば、デルフトに行くといいかもしれません。というのも、オランダは美術館・博物館大国ですが、そのほとんどが月曜日は休館。デルフトの主要スポットはプリンセンホフ博物館を除けば、月曜も営業しています。
プリンセンホフ博物館はオラニエ公ウィレム1世とオランダ独立の歴史に関する博物館です。歴史好きなら欠かせないところですが、日本語対応していませんので、日本人にとってはマイナー博物館。なので、そこにこだわらないのであれば、月曜にデルフトに行ってフェルメールの足跡をたどり、その後、デン・ハーグのマウリッツハイツ美術館(月曜午後営業)でフェルメール作品を観賞すれば、フェルメールルートの完成です。
また、旧教会、新教会は日曜休みなので、鐘楼に上りたい人は注意しましょう。
アクセス
アムステルダム・セントラルから電車で約1時間。デン・ハーグからは10分。ロッテルダムからは約15分。
デン・ハーグから1番トラムで行くことができますが、CS駅ではなくてHS駅から約20分です。私が宿泊したザ・ハーグ・マリオット・ホテルからは最寄り駅のWorld Forum駅からトラムで約30分かかりました。
デルフトの町を歩こう!
デルフトマップ
大体のスポットは広場周辺に密集しています。フェルメール好きは⑲に行ってからマウリッツハイツ美術館に行ってほしいです。その理由は後ほど。
①Bagijnhofpoortje
旧カトリック教会地区Bagijnhofへの入口です。現在当時の建物はほとんど残っていませんが、ここはカトリック教徒の避難場所でした。現在のオランダ(ネーデルラント連邦共和国)はカトリックであるスペインの支配に対抗して独立した国ですので、国民の大半はプロテスタント。アムステルダムの屋根裏部屋教会のように、カトリックは肩身が狭かったのでした。
奥に進むと、広場にJohannes Stalpaert van der Wiele(1579-1630)の像があります。彼はBagijnhofに住んでいた、旧教会の司祭でした。また、HH Maria en Ursulakerkというカトリックの為の隠れ教会もあります。
②Huis Lambert van Meerten
美術品・骨董収集家であるLambert van Meerten(1842-1904)の元住居。家業のおかげで裕福だった為、芸術・音楽保護に尽力していたそうです。死んだら博物館にするのを条件にデルフト市に寄付する予定でしたが、その前に破産。他の人の手により、1909年にタイルや陶器などの博物館としてオープンしました。2013年に閉鎖されたようですが、コレクションはプリンセンホフ博物館に残っています。
③プリンセンホフ博物館
ネーデルラント連邦共和国の初代総督、オラニエ公ウィレム1世の住居であり、暗殺された場所。現在はオランダ独立の歴史、オランダ王家、デルフト焼に関する博物館になっています。歴史好きは行くべき場所。
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④Oude Kerk(旧教会)
1050年に建てられた木造の教会を基礎に、何度も増築、改修を繰り返されています。地盤沈下により、大きく傾いているのがわかります。オランダ版ピサの斜塔です。
※今回外装が工事中だったので、前回行った時の写真です。
ステンドグラスに見ごたえがあり、ここにはフェルメール、マーテロン・トロンプ提督、西インド会社総督ピート・へインが眠っています。
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⑤Het Wapen van Savoyen
1565年のギザギザ屋根(ルネッサンスの特徴)を持つ建物で、1787-1807まで兵舎として利用されていました。ここの木戸は極端に小さくてなかなか見かけない感じですね。
⑥Gemeenlandshuis
1505年にデルフトで一番お金持ち(保安官だった)、Jan de Huyterの為に建てられた後期ゴシック様式の建物。その後、ウィレム1世の娘Maria van Nassauと結婚したFilips van Hohenlohe-Neuensteinの所有になっています。
シンプルで質素な家が多い中、この家の入口にはやたら紋章が並んでいます。紋章のデザインは建築家Pieter Post(1608-1669)によるもの。
⑦De Koornbeurs
もともとは肉屋の建物。1295年から1413年の間に肉の貯蔵庫である地下室が作られ、上には木製のホールがあったようです。肉屋の後はとうもろこしの取引所になったとか。1536年の都市火事でホールは焼け、1650年に石造りのホールが作られました。現在はワインバー&レストランだそうです。中も見てみたいですね。
歴史小話:1536年の火災と1654年の大爆発
大航海時代のデルフトでは2回の悲劇が起きています。まずは1536年。雷が新教会の塔を直撃し、そこから火災が発生。デルフトの西側2300件の家を焼きました。そして1654年。火薬庫に貯蔵されていた約40トンの火薬が爆発。100人以上の死者、1200人もの負傷者をだしました。
上の絵画はEgbert van der Poelによる、1654年の爆発後の様子を描いたものです。相当な被害があったのがよくわかります。
フェルメールが『小路』『デルフトの眺望』などのデルフトの景色を描いたのはこの後です。大爆発を経験して、景色を残しておこうと考えたのかもしれません。
⑧Vermeer Centrum Delft(フェルメールセンター)
フェルメールの作品の原寸大パネルや彼の作画技法などを紹介するセンター。フェルメールが所属していた聖ルカ組合があった場所に建てられています。実際の作品はありませんが、フェルメールをより理解したい人はよいかもしれません。
聖ルカ組合とは
ネーデルラント画家・芸術家のギルド(労働組合)につけられた一般的な名称。フェルメールは1661年から2年間理事を務めている。
1階にはミュージアムショップとティールームが併設されています。ショップは入場料なしで利用できるそうです。
月曜も営業していて、ミュージアムカード持参で割引になります。
⑨空飛ぶキツネ亭
フェルメールの生家であり、フェルメールの両親が副業として経営する宿屋。なんで「狐」なのかというと、フェルメールの父、レイニエル・ヤンスゾーン・フォスのフォスは英語のFoxにあたるんだそうです。
現在アンティークショップになっています。
⑩Straatje van Vermeer(『小路』のモデルとなった場所)
フェルメールの作品『小路』のモデルとされる場所。
長い間、実際の場所がどこか議論されていましたが、最近の研究で場所が特定されたそうです。建物はだいぶ変わっているし、なぜ特定できたんでしょう。
というわけで、比較してみました。言われればそうかな?という感じですね。
⑪Nieuwe Kerk(新教会)
14世紀後半に建設が始まった、プロテスタント教会。オラニエ公ウィレム1世をはじめ、歴代の王族が眠っています。また、フェルメールが洗礼を受けたのもこの教会です。
前回行ったときは霧でしたが、今回は晴れていたのでのぼりました。大変だったけど、デルフトを一望できる景色に感動しました!
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⑫マルクト広場とグロティウス像
旧市街の中心地にある広場。市庁舎と新教会が向かい合って立ち、周りにはお土産屋さんや飲食店が並んでいます。
テラスでジェラートを食べながら、新教会のカリオンを聴くのがオススメ。
また、毎週木曜日にはWarenmarktというマーケットが開かれます。私は前回たまたま木曜日に行ったので、雰囲気を味わえました。
新教会前にはグロティウス像が。オランダの法学者で、国際法の基礎を作ったことから、「国際法の父」と呼ばれている人物です。今は新教会で眠っています。世界史を勉強したときに、『戦争と平和の法』の著者として一度は触れる名前だと思います。
グロティウスはすべての国家は貿易の為に海を自由に使うことができると説いたそうですが、イギリスはこれに真っ向から反論。イギリスが航海条例を制定したことで、第一次英蘭戦争へとつながります。
このあたりの論争が現在の海洋法や排他的経済水域とかに結びついていくのでしょう。グロティウスの考え方は当時イケイケだったオランダだけに傲慢です。そういえば今もいましたね。自国の海域関係なく勝手に侵入して密漁してる大陸の国が・・・日本の対応は本当にぬるいと思いますわ(# ゚Д゚)
⑬メーヘレン亭
フェルメールが9歳の時に移り住んだ宿屋。前の家から徒歩1分。現在はデルフト焼の販売店。
フェルメールの贋作で有名な人物の名前もメ-ヘレンって言いますよね。
⑭Stadhuis(市庁舎)
13世紀に建てられた市庁舎。1618年に元の市庁舎は火事で焼失。その後、ルネッサンス調で再建されています。
フェルメールはここでカタリーナと結婚の誓いをたてました。フェルメールがプロテスタント、カタリーナがカトリックだったのもあり、カタリーナの母親は結婚には反対したそうです。
⑮フェルメールのアトリエ
フェルメールのアトリエだった建物。すぐ隣はMaria can Jessekerkというカトリック教会。説明書きのプレートはありました。中には入れなそう。
歴史小話:行方不明のフェルメール絵画
1664年頃にフェルメールが描いたとされる『合奏』。ボストンにあるイザベラ・スチュアート・ガードナー美術館で展示されていました。ところが、1990年に警察官を装った強盗が押し入り、この絵画を強奪。奪われた中にはレンブラントの作品も含まれていたそうです。
現在もそれらの絵画は行方不明。盗難絵画の中では最高の評価額とされています。
⑯Oostpoort
14世紀に作られ、デルフトで唯一残っているゲート。
町側から見るとこんな感じ。マルクト広場から徒歩10分くらい?暑くて長く感じたかもしれないけど。この周辺には何もありません。
⑰Oost-Indisch Huis
東インド会社デルフト支社の建物。現在は建築事務所のオフィスとして利用されている様子。横長なので、撮影しにくいっ!!当時はこの辺一帯、VOCの倉庫や関連施設がたくさんあったはずです。
この家は1722年に建て直しがされているようです。
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⑱東インド会社倉庫
東インド会社デルフト支社の対岸にあるVOC倉庫。元は陸軍の所有だった建物をVOCが買い取ったそうです。
数年前までは武器博物館で、前回来たときは何かの団体の施設だったのですが、現在改装中のようで、垂れ幕にはレストランって書いてあります。レストランになったら入れるじゃないですか!!今後に期待大です。
隣接の建物は色が違いますが、こちらも倉庫です。紋章がかっこいいので、見てほしいです。
⑲Vermeer's View of Delft
フェルメール『デルフトの眺望』の場所。実際はここよりもうちょっと右です。すっかり風景が変わってしまいましたね。
この看板があったので、ここかなーと思ったんだけど、右の看板には小さく矢印が書いてありますね・・・トラップだ。。。
昔の地図に当てはめるとこんな感じです。残念ながらSchiedamse Poortは今ありません。このゲートの右の川はずーっとたどっていくとデルフトの港に繋がっています。きっとゲート付近の建物はVOC倉庫だったのでしょう。
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デルフトまとめ
デルフトは徒歩でたくさんのスポット巡りができる町です。フェルメール好きの人は、是非現在のデルフトの眺望を見てから、マウリッツハイツ美術館で絵画を観賞してみてください。感激もひとしおです。
また、天気が良かった時は是非、新教会の鐘楼にものぼってみてください。景色に感動するはずです。